2015年5月28日木曜日

今、この瞬間(日本文学科3年 渡橋恭子)

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第28回安田女子大学・安田女子短期大学
エッセイコンクール自由部門学長賞作品

「今、この瞬間」 

渡橋恭子(日本文学科3年)

 最後の音を弾ききると、その音はやさしく空間を包み込み、指揮者のタクトが下りるまで、私達は名残惜しむように最後の余韻に耳を傾ける。何度演奏しても、私はこのわずかな時間をとてもいとおしく感じる。なぜなら、この静かな時間にはその空間を共有している人々の音楽に対する想いが凝縮されているからだ。

 よく「音楽は時間芸術だ。」といわれる。絵画や彫刻が形として後に残るという性質の芸術であるのに対し、音楽は時間とともに進み、どんなに魂を揺さぶるような感動的な演奏であっても、録音をしない限り演奏が終わればその瞬間に消えてしまうものだからだ。

 私は、中学一年生の頃から今に至るまでコントラバスを続けている。コントラバスとは、低音を担当する弦楽器のことで、オーケストラはもちろん、吹奏楽やジャズなどの幅広い分野で活躍する楽器である。私は、幼い頃から音楽が好きだったため中学校で吹奏楽部に入り、コントラバスに出会った。その後高校でオーケストラを経て、大学では弦楽部に入部した。

 弦楽部は、オーケストラ等とは異なり小編成であるため、指揮者を置かずに演奏することが多い。そのため、メンバーは自然に皆でアイコンタクトを取り、息を合わせて演奏することになる。こうしてつくられた音楽は濃密であり、演奏していると心地よさを覚える。それは、皆の息が合った瞬間は、皆が「一瞬」を共有した瞬間だからではないかと思う。

 なぜなら、一曲の演奏時間は長くても一つ一つの音を演奏している時間は非常に短いため、息の合った演奏をするには各自が仲間の音に耳を澄ませ、気持ちを合わせる必要があるからだ。メンバーは様々なバックグラウンドを持ち、普段は異なった考えを持っている。しかし、音楽をすることによって「一瞬」をも共有できる仲間となるのである。音楽が多くの人を魅了してやまないのは、こうした側面があるからではないだろうか。

 また、サークルではメンバー間の距離が近いこともあり、練習時間外でも楽曲についてメンバー同士で検討し、どのように弾くかを話し合う時間を多く取るようになった。こうして丁寧につくりあげた演奏を舞台で披露すると、お客様はただじっと聴いているだけではなく、体を揺らしてリズムを取ったり、拍手をしたりして演奏への共感を示してくださることが多い。これらは、私達にとって何よりも励みになる。なぜなら、これにより演奏者と観客のコミュニケーションが成立し、舞台と客席が音楽を通して一体となるからだ。このように、同じ場所で同じ音楽を聴くために集まった大勢の観客と共に、同時に感動を共有できるのは生演奏の音楽の魅力であろう。

 音楽は、「一瞬」を味わい、演奏しているときの感動を仲間と共有することで、さらに楽しめるものである。しかし、私がまだ楽器を始めたばかりの頃は、「次の音は大きく」「出だしをそろえなければ」と常に譜面の先を追うばかりであった。そのため、皆で演奏するとなると、いくら頭を回転させても刻一刻と移り変わる音楽に追いつけないような忙しさを感じていた。音楽に身を委ねるということができなかったのである。しかし、少し余裕を持って弾けるようになった今になってようやく、「音楽は時間芸術」といわれる本当の意味が分かってきたように思う。私は、今でも演奏中にはもちろん譜面の先のことも考える。しかし、最も心地よい瞬間は「今」仲間や自分が出している音に耳を傾け、「今」動かしている手に気持ちを集中させるなど、完全に「今」を味わっているときであるように思う。現代の私達は生活が大変便利になったこともあり、常に「これが終わったらあれをしなければ」と一歩先のことを考えるようになっている。このように、時の流れは一瞬一瞬の「今」でできているにもかかわらず、私達の思考のほとんどは過去や未来のことで占められており、完全に「今」を認識することは少ない。しかし、音楽の流れが後ろに戻ることがないように、時の流れも戻ることはないのである。私達はもっと「今」という時間に身を委ね、いとおしむことも必要なのではないだろうか。

 また、家にいて一人でする食事よりも、学校で大勢の友達とする食事のほうが美味しく感じられるように、素敵なものこそ人と共有することで、さらにそのものを深く味わうことができるようになるのではないかと思う。

 このように、音楽は私に「今、この瞬間」を味わい、それを人と共有することがどんなに素晴らしいものであるかということを教えてくれた。私達は普段、様々なものを見聞きし感じていると思いがちだが、実は日々多くのものを見落としている。音楽に身を委ねるように、ときには「今、この瞬間」に身を委ね、そのとき見えているもの、感じていることなどを周りの人と共有してみてはどうだろうか。きっとまた違った世界が目の前に開けることだろう。